2006年 09月 20日
親の前で打つうどん
9/5にさくら夢2000と白バラを各5kgずつ取り寄せたのだけれど、最近2キロ単位で打つ機会が多いので、10キロは訳なくなくなった。
昨日、博多からお袋が上京してきたので、家に泊まってもらって晩飯には当然うちの手打ちうどんを使って、鶏しゃぶをした。
知人から麺を頼まれたのもあって日、月と2キロずつ打ったものがほぼストックがなくなりつつあったので、取っておいた2玉を茹でて出した。
鍋で煮込んでしまう前のうどんを〆た直後が旨いからと言って小さなお椀でほんの二口分くらいを出す。
お袋は醤油だけの方が麺が旨そうだと言って、生醤油をさっとかけて食べて「あんたがうどんを打つごとなったったいね。これは麺だけでも味がして旨かとよ。うまかうまか。」と言って喜んで食べてくれた。
息子の作ったものを贔屓目に見て、そう言ってくれたのかもしれないが一気にお椀のうどんを食べてしまったのを見て、「あぁおいしかったんだな。」と思った。
入れ歯だから、腰の強いうどんは食べづらかったのではないかとも思ったが、きっとそれを超えたのだろうと信じたい。
今日、休みをとっていたので遅く起きて、朝食を済ませてからふと「こないだ姉ちゃんに送ってやったうどんのお裾分けは食べたとね?」と聞いたら、ほんの少しやったから自分たち老夫婦だけで食べたという。
ならば口の肥えた美食家の兄にも食べさせないわけにはいかんよな、と話すと
「そら、そげんたい。」と言う。
午前9時。
「そしたら、宅急便で手荷物と一緒に送っちゃるけん、これから打とうか。昼までにはできるけん。」と言って、さくら夢の残り500gと白バラ800gを合わせて打ちはじめる。
うっかり湿度計を確認するのを忘れて、窓全開で作業を始めると、なにやら生地がバサバサの感じだが、寝かせりゃ落ち着くだろうと思って続けたのが失敗。
後から見たら、いつも平均して湿度が65%くらいの部屋が今日は暑い日差しとカラッとした陽気で湿度が40%を割っていた。
結局、生地は表面のしっとりさが出ず、延しても表面が見る見る乾燥していくので鮫肌である。
かといって捨てて作り直すには粉がないし、寝かせる時間もない。
仕方ないのでそのまま製麺してパックに詰めて博多に送った。
せっかく昨日「旨い、旨い」と言って食ってくれたお袋のおるところで製麺をしてカッコよく見せて「さすがやね~」と感心させたかったのだが、すっかり初舞台はこけてしまった。
「見栄えは悪かばってん、食や旨いっちゃけん。出来の悪かとば送って御免て兄ちゃんに言うとって。ようできたらまた送るけん。」と伝言を頼む。
明後日の午前中には博多に着くので、きっと明後日の昼飯は讃岐うどんだろう。
実家のすぐ傍には「琴平」という昔からやっている讃岐うどんの店がある。
親父はけっこう気に入っていて、たまに出前を取ってくれたりしていた。
今度のうどんを親父や兄貴はその琴平と比較してどう思うのか、正直かなり腰の強いうどんが最近できてしまうので、それを食べてみてどんな感想を持つのか、怖いが聞かねば。
昨晩、お袋が何度も「うちの子たちゃ、みんな食べ事の好きでみんな上手かけん、なんか嬉しかとばい。私のお友達がみんな感心してくれよるもん。」と言っていた。
立身出世もしておらんし、大学を出してもらっても相変わらず何を本業にしているのやらというこの不肖の息子を前にしても、そうやって喜んでくれるお袋を見ていて、ホントにこの人は大らかな人なんだなと思った。
幼少から青春時代の最中を満州で生き抜いてきた楽しさと辛さの激しく拮抗した経験が反発力となって、こんな大らかな人を育ててきたんだなと思う。
そして、その性格を作り上げてきたのはそのまた母さんである祖母が更に上を行く鷹揚な大陸人であることに起因していることも分かった。
昨晩、満州から引揚げる時の祖母の豪快な思い出話を聞いていて納得した。
博多の人間の特徴なのか逆境もそれなりにネタにしてしまうようなところがあって、想像を超えるシビアで哀しい現実の中でも話のどこかにクスッと笑えるエッセンスがあるのだ。
結局、そういう血筋なのだと思うしかない。
親父、お袋、兄貴、義姉さん、姪っ子、甥っ子…
うどんにのめりこんでるおいさんのうどんを食ってくれ。
旨くてもまずくても何か感想を聞かせてくれな。
さて、仕入れた粉がなくなったので発注。
今度はさくら夢一本に絞って、いよいよ素人には禁断の世界の25kg袋の注文。
どこまで加速していくのやら…傍で見ている人は不安でたまらんだろうな。
まことに申し訳ないと思うよ。
ごめん。
昨日、博多からお袋が上京してきたので、家に泊まってもらって晩飯には当然うちの手打ちうどんを使って、鶏しゃぶをした。
知人から麺を頼まれたのもあって日、月と2キロずつ打ったものがほぼストックがなくなりつつあったので、取っておいた2玉を茹でて出した。
鍋で煮込んでしまう前のうどんを〆た直後が旨いからと言って小さなお椀でほんの二口分くらいを出す。
お袋は醤油だけの方が麺が旨そうだと言って、生醤油をさっとかけて食べて「あんたがうどんを打つごとなったったいね。これは麺だけでも味がして旨かとよ。うまかうまか。」と言って喜んで食べてくれた。
息子の作ったものを贔屓目に見て、そう言ってくれたのかもしれないが一気にお椀のうどんを食べてしまったのを見て、「あぁおいしかったんだな。」と思った。
入れ歯だから、腰の強いうどんは食べづらかったのではないかとも思ったが、きっとそれを超えたのだろうと信じたい。
今日、休みをとっていたので遅く起きて、朝食を済ませてからふと「こないだ姉ちゃんに送ってやったうどんのお裾分けは食べたとね?」と聞いたら、ほんの少しやったから自分たち老夫婦だけで食べたという。
ならば口の肥えた美食家の兄にも食べさせないわけにはいかんよな、と話すと
「そら、そげんたい。」と言う。
午前9時。
「そしたら、宅急便で手荷物と一緒に送っちゃるけん、これから打とうか。昼までにはできるけん。」と言って、さくら夢の残り500gと白バラ800gを合わせて打ちはじめる。
うっかり湿度計を確認するのを忘れて、窓全開で作業を始めると、なにやら生地がバサバサの感じだが、寝かせりゃ落ち着くだろうと思って続けたのが失敗。
後から見たら、いつも平均して湿度が65%くらいの部屋が今日は暑い日差しとカラッとした陽気で湿度が40%を割っていた。
結局、生地は表面のしっとりさが出ず、延しても表面が見る見る乾燥していくので鮫肌である。
かといって捨てて作り直すには粉がないし、寝かせる時間もない。
仕方ないのでそのまま製麺してパックに詰めて博多に送った。
せっかく昨日「旨い、旨い」と言って食ってくれたお袋のおるところで製麺をしてカッコよく見せて「さすがやね~」と感心させたかったのだが、すっかり初舞台はこけてしまった。
「見栄えは悪かばってん、食や旨いっちゃけん。出来の悪かとば送って御免て兄ちゃんに言うとって。ようできたらまた送るけん。」と伝言を頼む。
明後日の午前中には博多に着くので、きっと明後日の昼飯は讃岐うどんだろう。
実家のすぐ傍には「琴平」という昔からやっている讃岐うどんの店がある。
親父はけっこう気に入っていて、たまに出前を取ってくれたりしていた。
今度のうどんを親父や兄貴はその琴平と比較してどう思うのか、正直かなり腰の強いうどんが最近できてしまうので、それを食べてみてどんな感想を持つのか、怖いが聞かねば。
昨晩、お袋が何度も「うちの子たちゃ、みんな食べ事の好きでみんな上手かけん、なんか嬉しかとばい。私のお友達がみんな感心してくれよるもん。」と言っていた。
立身出世もしておらんし、大学を出してもらっても相変わらず何を本業にしているのやらというこの不肖の息子を前にしても、そうやって喜んでくれるお袋を見ていて、ホントにこの人は大らかな人なんだなと思った。
幼少から青春時代の最中を満州で生き抜いてきた楽しさと辛さの激しく拮抗した経験が反発力となって、こんな大らかな人を育ててきたんだなと思う。
そして、その性格を作り上げてきたのはそのまた母さんである祖母が更に上を行く鷹揚な大陸人であることに起因していることも分かった。
昨晩、満州から引揚げる時の祖母の豪快な思い出話を聞いていて納得した。
博多の人間の特徴なのか逆境もそれなりにネタにしてしまうようなところがあって、想像を超えるシビアで哀しい現実の中でも話のどこかにクスッと笑えるエッセンスがあるのだ。
結局、そういう血筋なのだと思うしかない。
親父、お袋、兄貴、義姉さん、姪っ子、甥っ子…
うどんにのめりこんでるおいさんのうどんを食ってくれ。
旨くてもまずくても何か感想を聞かせてくれな。
さて、仕入れた粉がなくなったので発注。
今度はさくら夢一本に絞って、いよいよ素人には禁断の世界の25kg袋の注文。
どこまで加速していくのやら…傍で見ている人は不安でたまらんだろうな。
まことに申し訳ないと思うよ。
ごめん。
by up-jp
| 2006-09-20 23:51
| 製麺ログ