2011年 07月 06日
引越し準備中
実は再来週、自宅の引越しを予定しています。ひょんなことから先月の初め頃に転居を決めて、今月の引越しです。
今、住んでいるところは居心地が特別悪いわけではないんですが、風通しやらなんやら細々としたところでなんとなく背中が縮こまってしまうような気がしていたところへ、眺望抜群&風通し最高で、しかもお家賃もほとんど変わらないところを紹介してもらったので、即決です。
今の住まいには10年住んでいるんですが、さすがに片づけを進めて行くといろいろと考えさせられます。
入居した頃は子供が三人とも学校通いだったので、手狭ながらどうにか詰め込んで生活をしていました。
今は三人とも社会人になり、一年に数回顔を合わせる機会があるかなしか、といったところ。
部屋数もそれほど多くはいらなくなります。
それにしても断捨離を実行するのはこういう引越しでもやるときしかないのでしょうかね。
我が家では「身軽に生活をする」ということが共通の認識になり、3年以上使っていないものは思いきって捨てることにしました。
もちろんリサイクルショップなどへ買取してもらえそうなものは持ち込んでみるんですが、大半がお持ち帰りになってしまいました。
商品の程度と使用年数、持ち込み時期の三点でチェックされると、今は誰も必要としていないものばかり大事に抱え、部屋を狭くして生活をしていたことにも気づかされました。
家電の無料回収所に使わなくなったエアコンやアナログのブラウン管モニターや動かないファンヒーターなどを軽バンにまるまる一台捨てに行った帰りに「消費」という言葉を考えていました。
辞書では「人が欲望を満たすために、財貨・サービスを使うこと。」ということになるんですが、曲者は「人の欲望」です。瞬間の欲望、永年の欲望、いろんな欲望のために道具や本や工具などを買っています。
古い時代の自分の買ったものを改めて見ると当時の若い自分なりに目指したものや理念が思い出されます。
WEBビジネスで一旗上げようと思って、ネットビジネスやマーケティング系の本や資料をひたすら集めて読み漁っていた時代の物や元々魚釣りはそれほど熱心ではなかったのにバスフィッシングブームの時にはすっかり虜になって、集めたロッドやプラグ、はたまたうどん屋には到底縁のなさそうな細かい木工の細工をするための電動工具や鉋の類…
共通しているのは「これを買えば、だいたいの目的には近づけるだろう」と思って買っていることですね。
この「これさえあれば…」という動機が自己実現の欲望そのものの姿だと思うし、そういった道具や知識を満たすものさえあれば自分が大きく転進できるはずと思って、決して裕福ではない生活の中から出費しているんです。
本当に必要なものは先に手に入っていないとダメなものもあるし、キャリアを積んだら必要になるものもあるので一概には言えんことですが、基本中の基本と言われるものは何かをきっちりリサーチして最低限のものをセットして買ったものは無駄がないことがけっこう多いようです。(ただし、それは長い期間それに集中したら、ですが。笑)
無意識に道具頼りになっているものはけっこう上達が遅くて飽きてしまっていることも多いです。
後者の飽きてしまったものの中には、期待と現実が乖離していたものもありますが、本当の面白さを味わえる場や人と出会っていないこともあるように思えます。
「本当の醍醐味が分る段階に行くまで分ってても分ってなくてもある程度の投資をし続けるから本物に出会うことが可能になる」とも言えるんですが、自分自身の過去に体験してきた趣味的なものは結局ライフワーク的な位置づけではほとんどどれも残っていないのです。
釣り、バンド活動、バイク、料理とあれこれやりましたが、一つだけ身について残ったのはどなたかに食べてもらえるものを作る、ということでした。
そのスタートは小学生の頃からで社会人になって収入がある程度あるようになってからではなかったのも不思議です。
姉たちが定期購読していた千趣会のCookという雑誌についてくる料理カード(一号に10枚くらいあったと記憶していますが)を見て、食べたことがない料理を見て味わいを想像したり、華麗な盛り付け・飾りつけに見とれていたりしていました。変な小学生です。笑
都合200枚以上はあったカードもレシピ全部ではありませんが、どんな材料を使って調理法は概ねどういったものかは、ほぼ憶えていました。
よくできたカードで「甘さ、塩辛さ、酸味、苦味、辛味」を☆の数で表しているので、「甘みがどちらかというと強い煮物」とか「酸味と塩味だけで甘くないので甘酢風味ではない」ということが一目瞭然の作りでした。
そんなんを見ながら、きっと甘酸っぱくて肉がたっぷり入っていて美味しいんだろうな~とか脳内でご馳走を味わっていました。今思い返すとますます変な子ちゃんだなぁ。
ちょっと話が逸れてしまいましたが、何が言いたかったか、と言うと欲望のためにお金を使っていることを粗大ごみを捨てに行って思い知ったわけです。
欲望はいつもいつでも連続して湧き起こってくるものだけれど、それを自分の中で整理して意思決定するのには自分の芯(コンセプト)が定まるまでは無駄な買い物をいっぱいしてしまうもんだ、ということです。
これから一度、こういう機会にシンプルに「生きる(活きる)ために必要なものだけ」の生活をしてみて、電化製品にしろ、趣味の道具にしろ、もしこのままなかったら生活の面白みがなくなるほど重要なものか、プライオリティの高いものが生活全般の中で考えたらあるのではないか、という見方で、仕事のツール以外は買っていこうかと思います。
まぁ仕事のツールは当たり外れもあるので、必ずしも一度の買い物でどハマリというものにはなかなか出会えなくて買い替えも頻繁ですが、そういう道具はお金を稼いでくれるのでまだ罪は軽いのかな?
未知のことを始めるために未知のアイテムを購入する時はもうちょっと慎重に考えるようにしようかと片付けながら思いました。
とかなんとか言いながら、今日もアマゾンで0.1gがきちんと計れるデジタルスケールを1900円だったから注文しちゃいました。笑
生パスタや特製タレ、カレーパウダーの仕込みをする時にはけっこう微量の計量があったりするから、必要なんです。以前に買ったものを引越しの荷造りでようやく発掘したんですが、秤量が15gも狂うようになってしまっていて使い物にならずでねぇ…安物買いのなんとやらです。笑
今、住んでいるところは居心地が特別悪いわけではないんですが、風通しやらなんやら細々としたところでなんとなく背中が縮こまってしまうような気がしていたところへ、眺望抜群&風通し最高で、しかもお家賃もほとんど変わらないところを紹介してもらったので、即決です。
今の住まいには10年住んでいるんですが、さすがに片づけを進めて行くといろいろと考えさせられます。
入居した頃は子供が三人とも学校通いだったので、手狭ながらどうにか詰め込んで生活をしていました。
今は三人とも社会人になり、一年に数回顔を合わせる機会があるかなしか、といったところ。
部屋数もそれほど多くはいらなくなります。
それにしても断捨離を実行するのはこういう引越しでもやるときしかないのでしょうかね。
我が家では「身軽に生活をする」ということが共通の認識になり、3年以上使っていないものは思いきって捨てることにしました。
もちろんリサイクルショップなどへ買取してもらえそうなものは持ち込んでみるんですが、大半がお持ち帰りになってしまいました。
商品の程度と使用年数、持ち込み時期の三点でチェックされると、今は誰も必要としていないものばかり大事に抱え、部屋を狭くして生活をしていたことにも気づかされました。
家電の無料回収所に使わなくなったエアコンやアナログのブラウン管モニターや動かないファンヒーターなどを軽バンにまるまる一台捨てに行った帰りに「消費」という言葉を考えていました。
辞書では「人が欲望を満たすために、財貨・サービスを使うこと。」ということになるんですが、曲者は「人の欲望」です。瞬間の欲望、永年の欲望、いろんな欲望のために道具や本や工具などを買っています。
古い時代の自分の買ったものを改めて見ると当時の若い自分なりに目指したものや理念が思い出されます。
WEBビジネスで一旗上げようと思って、ネットビジネスやマーケティング系の本や資料をひたすら集めて読み漁っていた時代の物や元々魚釣りはそれほど熱心ではなかったのにバスフィッシングブームの時にはすっかり虜になって、集めたロッドやプラグ、はたまたうどん屋には到底縁のなさそうな細かい木工の細工をするための電動工具や鉋の類…
共通しているのは「これを買えば、だいたいの目的には近づけるだろう」と思って買っていることですね。
この「これさえあれば…」という動機が自己実現の欲望そのものの姿だと思うし、そういった道具や知識を満たすものさえあれば自分が大きく転進できるはずと思って、決して裕福ではない生活の中から出費しているんです。
本当に必要なものは先に手に入っていないとダメなものもあるし、キャリアを積んだら必要になるものもあるので一概には言えんことですが、基本中の基本と言われるものは何かをきっちりリサーチして最低限のものをセットして買ったものは無駄がないことがけっこう多いようです。(ただし、それは長い期間それに集中したら、ですが。笑)
無意識に道具頼りになっているものはけっこう上達が遅くて飽きてしまっていることも多いです。
後者の飽きてしまったものの中には、期待と現実が乖離していたものもありますが、本当の面白さを味わえる場や人と出会っていないこともあるように思えます。
「本当の醍醐味が分る段階に行くまで分ってても分ってなくてもある程度の投資をし続けるから本物に出会うことが可能になる」とも言えるんですが、自分自身の過去に体験してきた趣味的なものは結局ライフワーク的な位置づけではほとんどどれも残っていないのです。
釣り、バンド活動、バイク、料理とあれこれやりましたが、一つだけ身について残ったのはどなたかに食べてもらえるものを作る、ということでした。
そのスタートは小学生の頃からで社会人になって収入がある程度あるようになってからではなかったのも不思議です。
姉たちが定期購読していた千趣会のCookという雑誌についてくる料理カード(一号に10枚くらいあったと記憶していますが)を見て、食べたことがない料理を見て味わいを想像したり、華麗な盛り付け・飾りつけに見とれていたりしていました。変な小学生です。笑
都合200枚以上はあったカードもレシピ全部ではありませんが、どんな材料を使って調理法は概ねどういったものかは、ほぼ憶えていました。
よくできたカードで「甘さ、塩辛さ、酸味、苦味、辛味」を☆の数で表しているので、「甘みがどちらかというと強い煮物」とか「酸味と塩味だけで甘くないので甘酢風味ではない」ということが一目瞭然の作りでした。
そんなんを見ながら、きっと甘酸っぱくて肉がたっぷり入っていて美味しいんだろうな~とか脳内でご馳走を味わっていました。今思い返すとますます変な子ちゃんだなぁ。
ちょっと話が逸れてしまいましたが、何が言いたかったか、と言うと欲望のためにお金を使っていることを粗大ごみを捨てに行って思い知ったわけです。
欲望はいつもいつでも連続して湧き起こってくるものだけれど、それを自分の中で整理して意思決定するのには自分の芯(コンセプト)が定まるまでは無駄な買い物をいっぱいしてしまうもんだ、ということです。
これから一度、こういう機会にシンプルに「生きる(活きる)ために必要なものだけ」の生活をしてみて、電化製品にしろ、趣味の道具にしろ、もしこのままなかったら生活の面白みがなくなるほど重要なものか、プライオリティの高いものが生活全般の中で考えたらあるのではないか、という見方で、仕事のツール以外は買っていこうかと思います。
まぁ仕事のツールは当たり外れもあるので、必ずしも一度の買い物でどハマリというものにはなかなか出会えなくて買い替えも頻繁ですが、そういう道具はお金を稼いでくれるのでまだ罪は軽いのかな?
未知のことを始めるために未知のアイテムを購入する時はもうちょっと慎重に考えるようにしようかと片付けながら思いました。
とかなんとか言いながら、今日もアマゾンで0.1gがきちんと計れるデジタルスケールを1900円だったから注文しちゃいました。笑
生パスタや特製タレ、カレーパウダーの仕込みをする時にはけっこう微量の計量があったりするから、必要なんです。以前に買ったものを引越しの荷造りでようやく発掘したんですが、秤量が15gも狂うようになってしまっていて使い物にならずでねぇ…安物買いのなんとやらです。笑
by up-jp
| 2011-07-06 00:52
| 四方山話